グラディウスIIIの思い出
〜私をアーケードゲームに導いてくれた作品、グラディウスIIIの思い出を語る〜
ぼくたちゲーセン野郎
私がグラディウスIIIというゲームの存在を初めて知ったのは、1989年の年末に発売されたファミリーコンピューターマガジンの中の、ぼくたちゲーセン野郎というコーナーを読んだ時でした。

順番としては同時期に発売されたファイナルファイトがグラIIIより先に紹介されたのですが、そのファイナルファイトの紹介ページですでに左下にスペースを割いてグラIIIが紹介されており、これだけでも当時のアーケード業界におけるグラディウスのネームバリューの偉大さが伺えると言うものでしょう。

そして次号の1990年1月26日号で、グラIIIがメインゲームとして紹介されました。



その記事を見てまず私が思ったことは、私自身のグラディウスのイメージはファミコン版のIで止まっていましたので、やはり単純にグラフィックが凄いな、と思いました。

当時はアーケードゲームはテトリスやファイナルラップぐらいしか知らず、アーケードゲームの超進化を体験していない私はファミコンと同じビデオゲームでありながらまるで別世界のゲームのように感じたものです。

しかし、この記事を読んで一番印象に残ったのはやはり田尻智氏の感想でした。





田尻智の グラディウスIII が好き!
田尻です。ついに登場しましたね、「グラディウスIII」。

シリーズ3作目は、いったいどんなモノになるか興味津々でしたが、僕のやった感想はズバリ!「ムズカシイ!」の一言です。

グラフィックもサウンドも、ますますグレードアップしてますし、それらに対して色々褒めたいのですが、そういったことを楽しむ前に、どうしてもゲームオーバーになってしまうのです。

僕自身は、最近シューティングゲームはやらないのですが、こうした現在のシューティングゲームをプレイしてみるとゲームマニアと一般人の間にはとてつもないテクニックの格差があるように思います。

このゲームをマニア向けといってしまえばそれまでですが、もうちょっと一般性が欲しいと思いました。



アーケード版との出会い
これだけ難易度の高さを強調されると、プレイしたことのない私にとっても「グラIII→難しい」と言うイメージがすぐに付いていきました。

しばらくして海老名のニチイに行った時、ゲームコーナーにグラIIIが置いてあるのを見たのですが、さすがに上記の事が頭をよぎったためプレイするまでには至りませんでした。

その直後にGB版のネメシスを購入し、次第にグラディウスの魅力に取り付かれ始めていきましたが、まだまだ家庭用のみでゲーセンに行き始める事はなく、グラIIIをプレイすることはありませんでした。


90年も秋を向え、家庭用ゲーム雑誌でSFCが特集され始めると、ハードと同時期に発売されるゲームソフトも大きく扱われ始めたのですが、その時私が一番熱心に読んでいたのがSFC版のグラIIIでした。

パッと見ただけでも明らかにアーケード版とは別物、ということはわかったのですが、さすがにファミコンを遥かに凌駕するそのグラフィックに惹かれた私は、SFCの中で一番プレイしてみたいゲームと思うようになっていきました。

そしてハード発売から4ヶ月経った頃、ようやくSFCを予約出来た私は、購入するちょっと前に近所のお店でSFC版グラディウスIIIを購入していきました。


SFCを購入してからはハードと同時に購入したF-ZEROを中心にプレイしていったのですが、もちろんSFC版グラIIIもやり込んで行きARCADEモードで1周出来るようにはなりました。

しばらくはSFC版を楽しんでいったのですが、、SFC版グラIIIとSFC版ファイナルファイトを特集したファミ通の冊子にアーケード版の紹介もされ、私はそれらを読んでいる内に段々本物のアーケード版をプレイしてみたい、と思うようになっていきました。

それまでアーケードからの移植作をプレイしていても、アーケード版をプレイしてみたいと思うようなことはあまりなかったので、それだけアーケード版のグラIIIの画面写真というのは当時の私にとっては印象に強く残ったのでしょう。

それがきっかけとなりゲーセン慣れしている友人を引き連れ2年前に一度だけ行ったことのあるALL50円のゲーセンに向かった私たちは、久々にアーケード版のグラディウスIIIと対面することが出来ました。

当時すでに発売から1年以上経っていましたから、グラIIIが設置されているゲーセンは少なくなっていったと思いますので、1回だけ行ったことのあるゲーセンにあったというのは今思えば凄く運が良い事だったと思います。

もしこのゲーセンが新作の入りが良いゲーセンで、グラIIIがすでに撤去されていたとしたら、私のその後のアーケードゲーマー人生も変わっていったことでしょう。

それでようやくグラIIIをプレイしたのですが、その直前に前述のようSFC版グラIIIのARCADEをクリアしていましたので、アーケード版も何とかなるだろう、とは思っていました。

ところが…当然のことながら初プレイで1面でゲームオーバー、あまりの難易度に絶句した私たちは一瞬にしてSFC版で培った自信を破壊され、家庭用ゲームで培った技術などアーケードゲームの前では何の役にも立たないことを身をもって理解していきました。





そんな感じでしたので、もうこんな高難易度のゲームはやらない、と思っても不思議ではないのですが、私たちにとってはそれ以上に本物のグラIIIに触れられた感動の方が大きかったため、あっさりゲームオーバーになったのにも関わらず、めげる事なくグラIIIを何度も何度もプレイしていきました。

結局ビギナーで2面のエニグマ地帯辺りが最高だったのですが、やはり本物をプレイ出来た充実感というものは何物にも変え難いものがありました。

その後1ヶ月間はプレイすることはなく、2ヶ月ほど経った頃から、週1ペースでグラディウスIIIをプレイするようになりました。


グラIIIの筐体の斜め前で、当時大ヒットしていたストリートファイターIIが常に大勢のギャラリーの前で稼動していたのですが、私たちはストIIには全く目もくれることなく、何かに取り付かれたようにグラIIIをプレイしていきました。

まだレバーさばきもままならないアーケードゲーム初心者が、何故これほどまでに難しいゲームに熱中していったのかは今思えば不思議で仕方がないのですが、当時の私にはそれほどグラIIIが面白くてたまらなかったのです。

プレイ内容に関しては、当時はまだ弾よけもうまく出来ない頃でしたから、最初の内は2面ボスがとにかく大きな壁として私たちの前に立ちはだかりました。

奴は完全にパターンなのですが、どうしても周りを跳ね返る泡をよけることが出来ず、何度も悔しい思いをさせられたものです。

それでも2人で協力しあいながらプレイしていった私たちは何とか3面まで進めるようにはなり、最後の穴掘り地帯も抜けれるようになったのですが、終盤のゴドレイ地帯の上のハッチの雑魚の弾をどうにもよけることが出来ず再びそこで長いことハマってしまいました。

そのため私はずっとD装備でプレイしていったのですが、上のハッチを倒すためだけの理由で最も不利と言われるC装備で友人はプレイしていき、2WAYで上のハッチを破壊した友人は遂に3面ボスのビッグコアMk-IIIと対面する事が出来たのです。

しかし…SFC版とは比較にならないほど速い反射レーザーに、なすすべもなく友人のビックバイパーは瞬殺されてしまいました。

その後、別のゲーセンで上のハッチにオプションを食い込ませて倒すというやり方を見た私たちは、ようやくD装備でプレイしていた私もビッグコアMk-IIIと対面することが出来たのですが、最初の1セットの反射レーザーのパターンを覚えるのが精一杯で、奴を倒すのは不可能ではないか、と思い始めていくようになりました。

結局それによりグラIIIをプレイするのに嫌気が差してきた私たちは、その後ストリートファイターIIにハマっていったこともあり、グラIIIをプレイすることは少なくなっていきました。


その後ようやくビッグコアMk-IIIを倒し、5面までは行けるようにはなったものの、その時点でも1速でプレイしていましたので5面ボスのグロームをよけることが出来ず、何度も5面ボスまでたどり着きながらも5面ボスを倒したのは1回だけで、結局当時は6面までしか行くことが出来ませんでした。

それ以後はそのゲームセンターからグラIIIが消えてしまったこともありグラIIIをプレイすることはなくなり、翌92年に新宿へ行った時もグラIIはプレイしたものの、近くにあったグラIIIはプレイすることはありませんでした。

翌93年1月に新宿へ行った時に約1年4ヶ月ぶりにグラIIIをプレイし、その時は3面で終わってしまいましたが、その時が何と1900年代最後のグラIIIのプレイとなってしまったのです。


7年ぶりのプレイ
時は流れて7年後、SS版のナイトストライカーSを探しに久々に秋葉原へ行った私はレトロゲームがたくさん置いてあるというトライアミューズメントタワーへ向かい、そこで私は7年ぶりにグラIIIとの再会を果たしました。

さすがに感動した私はすぐにでもプレイしたかったのですが、あいにくプレイしている人がいたため、仕方なくグラIをプレイしていったのですが、こういう時に限って終わらず、結局グラIIIの台が開いた瞬間に捨てゲーしてグラIIIをプレイしていきました。





グラIIIにハマっていた頃はずっとD装備でプレイしていたのですが、その時はまだ7面に行ったことがないにも関わらずツインレーザーだと7面で苦戦する、ということが頭をよぎり当時ほとんど選んだことがなかったEDIT装備を選んでプレイしていきました。

しかしやはり当時リップルをほとんど選んでいなかっただけありどうにも調子が出ず、あいにく2面で終わってしまいましたので、2回目のプレイでは一番好きなD装備を選んでいきました。

今度はさすがにお気に入りの装備だけあって、気分的にも楽に進め2面はもちろん3、4面とクリアしていきました。



そして当時の最大の鬼門だった5面ボスへとたどり着いた私は、さすがに当時苦戦していたことが頭をよぎり、ひょっとしたらここまでかも知れない、と思ってしまったものですが、この時は3速と連射装置のおかげもあってあっさりと倒すことが出来ました。

続く6面は難なくクリアし、初めてプレイすることになった7面もほとんどゲームオーバーを覚悟しつつも何とかクリア、続く8面も抜け、とうとう9面までたどり着いてしまいました。

さすがに初めてで9面はクリア出来るはずもなく、ここでゲームオーバーとなってしまったのですが、キューブ地帯でブロックを積んでいる時には「まさか俺がキューブをプレイしているとは…」と実に感慨深いものがありました。

そこで初めてグラIIIのクリアというものを意識したのですが、さすがにグラIIIをプレイするためだけに秋葉原まで来るというようなことは出来ず、家路に着く時はこれで当分グラIIIをプレイすることは出来ないのか、とやや寂しいものがありました。

それから1ヶ月経った頃、当時グラIIIが置いてあったゲーセンの分店である、私がパロディウスだ!を初めて1周したゲーセンに何気なく向かった私は、何とそこにグラIIIが置いてあるのを発見しました。

エクステンドがファースト、エヴリ共に10万だったことや、セッティングの都合で音が一切鳴らないことなど、グラIIIをプレイする上では厳しい環境だったのですが、それでも構わずプレイしていきました。

その時は秋葉原で9面まで行ったんだから、1周ぐらいすぐに出来るだろうと思いつつプレイしていったのですが、逆にそれが油断を生み、キューブを抜ける所か9面すら行けないプレイが続いていきました。

それですぐにプレイしなくなくなってしまったのですが、4ヶ月後にDCを購入し、ネット上でグラIIIの攻略を学んでいったこともあり、何とか9面のキューブは抜けることが出来るようにはなりました。

しかし1度もリザードコアを倒すことが出来ず、さらにグラIIIをプレイしていることが外からまるわかりというゲーセンの環境に嫌気が差し、結局クリアは出来ないままグラIIIはやめてしまいました。


それからPS2を購入し、時間を忘れてしまうほどにやり込み1周、もちろんハイスコアトライでもクリアする事が出来ました。実に初プレイから10年近くが過ぎてしまいましたが、やはり私のゲーマーとしての原点はグラディウスIIIを置いて他にはないので、どんなに世間で叩かれようが私にとっては生涯忘れることの出来ないゲームです。





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