グラディウスIII
−伝説から神話へ−

コナミ 1989年12月11日発売

横画面 横スクロールシューティング(4面のみ3D)

8方向レバー 自機の8方向移動

  ボタン1:パワーアップ
ボタン2:ショット
ボタン3:ミサイル



神話の始まり
1989年12月、ファン待望のグラディウスシリーズ第5作目として発売されたのがこの「グラディウスIII 〜伝説から神話へ〜」だ。

このグラディウスIIIを語る上でまずいの一番に語らなければならないことは、シリーズ中唯一ファンが関わった作品であることだ。

時は1988年11月、ゲームセンターではまだグラディウスIIが現役で稼動していた頃、コナミはゲーメスト誌上でグラディウスIIIのアイデアを読者から募集し、優秀なアイデアは実際にゲーム中に採用されるという、ファンには夢のような企画が始まった。




シリーズもすでに4作品を数え、さすがに「マンネリ」というイメージは避けられないところまで来てしまったため、ファンと一緒にゲーム作り、というよりも、ファンに対して助け舟を求めた、というだけのことではあるが、ファンの意見を素直に取り入れるという意味では、当時のコナミは業界でも屈指のユーザーフレンドリーなメーカーと言っていいだろう。

そしてそれから1年後、ゲーメスト'89年11月号において優秀なアイデアを考えたファンに対しての受賞が行われ、翌12月号では、AMショーバージョンという未完成バージョンながら、遂にグラディウスIIIの画面写真がゲーメストに掲載されたのだ。当然グラディウスIIIは、AMショーではプレイヤーたちで筐体が見えなくなってしまうほどの人気を集め、この時点では誰もがグラディウスIIを超える作品になりえるだろう、と信じて疑わなかったものだった。

しかし…12月に発売されるや否や、あまりの難易度の高さにファンの間では意見が真っ二つに分かれ、BGMやゲーム性の良さよりも、難易度の高さばかりが論議される状況となってしまい、発売前の期待感とは一転、このグラディウスIIIはシリーズで初めて駄作というレッテルを貼られてしまったのだ。


難易度
グラディウスIIIの難易度は今日のシューティングの難易度とは異なり、どんな上級者でも知らなければ確実に死んでしまうという難易度のため、クリアするためには何度も挑戦して覚えていかなければならない、というタイプの難易度であった。

これだけでは当時のアーケードゲームでは当たり前のことであり何分特別な感じということはないのだが、このグラディウスIIIの難易度というのは他のゲームとは比較出来ないほど高いものであり、当時のプレイヤーたちの許容範囲を遥かに超えていたほど凄まじい難易度だったのだ。




それに加え、このグラディウスIIIでは復活ポイントで出現するカプセルが非常に少なく、極めて復活が困難であり、エブリエクステンドとはいえ実質1機ゲームに近いゲームであるため、同じ場所を集中して練習することが出来ないという厳しさも難易度の高さに輪をかけていた。

ゲーメストのハイスコア集計でも、'90年3月号の第1回集計では1周クリアしたプレイヤーは現れなかったことなどからも、いかにグラディウスIIIというゲームが難しいゲームであったか、ということが理解出来るだろう。そのため攻略がまだ存在しない発売当時は一般プレイヤーではとても太刀打ち出来ず、プレイ出来る人間はマニアだけに限られていた。


ゲーメストの人気ランキングでは初登場で1位を取ったものの、その後は右肩下がりとなり、4月には早くもグラディウスの新作である「パロディウスだ!」が発表された。

こちらはグラIIIとは対照的に幅広い層から支持を得たこともあり、ゲームセンターからグラディウスIIIは次々と姿を消していき、その存在はみるみるうちに小さくなっていった。

それでも年末のゲーメスト大賞では、ゲーメスト大賞3位、ベストシューティング賞3位、ベストVGM賞1位、ベストグラフィック賞4位、ベストアルバム賞2位、年間ヒットゲーム6位などの好成績を収めた。


翌年発売されたゲーメスト増刊「ザ・ベストゲーム」でも20位にランクインしたものの、ザ・ベストゲーム担当ライターのFRS-N.O氏の厳しい論調からもわかるように、グラディウスIIIに対する評価は相変わらず低いままだった。


力ありし者たちの神話
このようにほとんどのゲーマーがグラディウスIIIにおいて厳しい見方をしていたのだが、その反面熱心なファンも多く付いたというのも事実だ。

しかもグラディウスIIIのファンというのは、グラディウスシリーズ全体はもちろん、全てのゲームの中でグラディウスIIIが一番好き、というファンが非常に多いのも特徴であり、それらは未だにシリーズ中最も攻略サイトが多かったということからも理解していただけるだろう。

では、一体何故このような異常な難易度を誇るゲームに、これほどまでにファンが多く付いたのだろうか?


その理由は単純明快、「面白いから。」

そう、グラディウスIIIは好きな人にとってはプレイしていて間違いなく面白いゲームであるのだ。

難しいからこそやり込んでいくうちに攻略法が身についていった時の上達の喜び、オプションの使いこなしがシリーズ中最も重要視されるゲーム性、自機やパワーアップの格好良さ、そして何よりゲーム史上に燦然と輝く素晴らしいVGMなど、ゲーマーを引き付ける多くの魅力が存在している事は確かであった。




確かに難易度は今の基準で考えてもかなりの高さを誇っているが、今日の弾幕系のゲームのようにプレイヤーを絶望視させてしまう難易度ではなく、攻略法さえ覚えてしまえば確実に先へと進めていけるタイプの難易度であるため、弾よけなどのセンスはあまり問われない、というのも挑戦意欲を湧き立てられる大きな理由のひとつだ。


メディアの盛況
グラディウスIIIの歴史を語る上で、サントラCDや攻略ビデオというのも避けては通れない話だろう。

まずサントラ盤は、ゲームの発売から2ヶ月経った1990年2月21日に発売されたのだが、このCDは当時のオリコンチャートで初登場26位という快挙を達成した。

グラディウスIIIのVGMというのは素晴らしいものばかりが揃っており、すでにゲーマーの間で評判になっていたとは言え、ゲーム、しかもアーケードゲームのCDなどまだまだ世の中に知られていない時代の頃にオリコンで26位というのは快挙以外の何物でもなかった。


因みにこのサントラ盤には初回特典があり、初回出荷分は特製化粧箱に収められて発売されたのだがすぐに完売してしまったため、化粧箱付きのサントラは今では幻のCDとなっている。

このサントラ盤の好成績を受け、同年6月には交響詩グラディウスIIIというグラディウスシリーズのオーケストラアレンジ盤が発売されたのだが、こちらは正直かなりいまひとつな出来であり、サントラ盤とは対照的に初回特典の化粧箱付きCDがいつまでも店頭に残っていたものだ。

そしてゲーム発売から1年後には、キングレコードから攻略ビデオも発売された。


内容はハイスコア集計打ち切り直前にEDIT装備で3周目5面というとてつもない記録を叩き出したスーパープレイヤー、EXCEL-星白金-HIR氏による、グラディウス面、沙羅曼蛇面を通じて1周ノーミスクリアと、同じく何度も全一を取ったことのあるCVM雷霊XAV氏による、2周目のダイジェストという素晴らしいものだ。

本来はCVM氏がグラIIIで、HIR氏はパロのみの予定だったのだが、CVM氏がどうしても9面をノーミスクリア出来なかったため、代わりにパロをノーミスクリアし調子の良かったHIR氏がグラIIIをプレイしたところ、ノーミスクリアしてしまったためHIR氏のこのプレイが使われた、というエピソードも残っている。



このグラディウスIIIのビデオは、当時開店したばかりのゲーメストの直営店、マルゲ屋の大きな目玉作品となり、発売してしばらくはビデオの売り上げの1位を常にキープしていたほどだ。


あとがき

グラディウスIIIはもちろん私にとっては完全に別格的存在のゲームですから、レビュー自体は難なく書き上げる事が出来ました。ただ客観的にみた場合はやはり色々問題のあるゲームであり、どう考えても誰もがプレイして面白いゲームではない訳ですから、普通にレビューで絶賛する訳もいきませんでしたのでその辺りの表現をどうするかでちょっと悩みましたね。結局「好きな人にとっては面白い」と言うあまりにも当たり前すぎる結論になってしまったのですが、それが私が考え付いた中での最高の妥協点と言う訳です。

攻略はとにかく苦手な人にもわかりやすいページにしたかったので、後に多少減らしましたが画像は使えるだけ使うつもりでいました。文章・画像とも膨大なため見た目かなり大変そうに思えるかも知れませんが、画像を収めるのは面倒だったとは言えページの作成そのものは割と楽に完成出来ました。文章はその後加筆・修正していますので、公開当初のものとは異なっています。思い出話も唯一別ページに分けられていますが、こちらも初期の文章は酷いものだったので、現在は大分加筆・修正されています。




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