グラディウスIV
-復活-

コナミ 1999年1月発売

横画面 横スクロールシューティング

8方向レバー ボタン1:パワーアップ
     ボタン2:ショット
     ボタン3:ミサイル

長き沈黙を破って
グラディウスIIIの発売を最後に、パロディウスなどのグラディウスの流れを組むゲームは各ハードで数々発売されてきたものの、皆が期待したグラディウスの名を冠する続編が発売される気配は一向になかった。

その間ゲームセンターからは横シューが消え、生みの親であるコナミもときメモや音ゲー、パワプロの大ヒットによりメーカーとしてのイメージが大きく変化したため、すでに利益が見込めなくなった横シューを発売する必然性が全くなくなり、80年代栄華を誇ったグラディウスの灯は風前の灯であった。





よって90年代末頃になると誰もがグラディウスの続編など諦めかけていただけに、往年のファンにとっては98年のAMショーの特集記事を見た時はまさに青天の霹靂と言う表現が相応しい衝撃があっただろう。

その作品が、90年代のアーケードにおいて唯一グラディウスの名を冠した続編、グラディウスIVだ。

すでに横シューはマイナーなジャンルと化していたため、全盛期ほどの熱狂までとはいかなかったと思うが、それでも往年のファンはもちろん新規のファンまでも引き付け、随分と長い間ゲーセンに置かれるロングヒット作品となった。




ゲーム性
グラディウスのゲーム性は一度フル装備にしてしまえばある程度の力押しができ、細かい弾よけよりもパターンを重視される、つまり一旦ゲームに慣れた状態でフル装備となってしまえばタコミスがない限りそう簡単にミスする事はない、と言うものであった。

グラディウスIIIでさえも、ゲーム性自体はその伝統のゲーム性をさらに強めたものに過ぎず、パターンを覚えれば確実に先へ進めるゲーム性であったため、いくら高難易度と批判されようとゲーム性自体はある程度理に叶ったものであったのだ。






しかしグラIII以降、手軽に楽しめる格闘ゲームの流行によりグラIIIのようパターン作りに忍耐を強いられるゲームは受け入れられなくなってしまい、シューティングは一旦冬の時代を迎える事となってしまった。

90年代中盤にシューティングの逆襲が始まったが、それはグラディウスの流れを組むものではなく、基板の性能UPにより弾数を多く出現させる事が可能となった事から画面一杯の弾の間をすり抜けていき、ミスしてもその場復活のため復活パターンは必要なく1度のミス程度では致命傷にはならない、いわゆる「弾幕ゲーム」がシューティングの主流に取って変わったのだ。




前振りが長くなったが、つまりグラディウスIVはその弾幕ゲームの流れを汲むものであったため、システム自体は伝統を受け継ぎながらもゲーム性は大きく異なる続編として完成された。

よってそれまでの作品のようにフル装備でも力押しは出来辛くなってしまい、3面や5面、6面に代表されるよう常にある程度の弾よけを要求される展開が続いていくと言う、プレイヤーにとっては厳しい方向に向かってしまったのである。







これは当時のシューティングの流れを考えれば必然的かも知れないが、前述のよう縦シューはミスしてもその場ですぐに復活しフルパワーアップもすぐに可能と言う、1度死んだぐらいでは窮地に陥らないシステムであるからこそこのシステムが生きる訳で、フル装備まで時間がかかり、ミスしたら1からの復活が要求されるグラディウスにとってはこのゲーム性は合わないのだ。

フル装備となっても常に死ぬ可能性があり、さらにノーマル状態からの復活まで要求されると言うのでは気の休まる暇がなく、私のようなゲーマー引退後のプレイヤーにとってはかなり苦しいゲーム性であった。私の考えとしては沙羅曼蛇復活を取り入れてくれれば大分良いバランスになったと思うだけに、これだけはやや見通しが甘かったように思う。



放浪型と定着型
昭和史を代表する漫画のひとつ「オバケのQ太郎」誕生のエピソード中の会話に「放浪型と定着型」と言う単語が登場し、前者は主人公以外は毎回違う登場人物が登場し変化を付けやすい、後者は登場人物が毎回決まってその中でストーリーが繰り広げられると言う解説がなされる。

これと似たような事がゲームのシリーズにも当てはまると言え、放浪型=変化型はFFや三國志、定着型はウィザードリィやドラクエ、そしてグラディウスに該当すると言って良い。






FFのイメージは青いウインドウとサイドビューの戦闘、と言うものであったが、システム自体は毎回のように新しいアイデアが取り入れられ、VIIIからは前述の仕様も変更されてしまうなど、現在は当初の面影などほとんど消え去ってしまったが、今ではRPGと言う枠組みでさえあればどんなゲームに生まれ変わっても、メーカーがFFと言えばこれはFFなんだ、とユーザーが納得するようになってしまった。

このシステムだと伝統に捉われる事はなく、毎回新鮮な作品を提供出来る事となり自由なゲーム作りが可能となるが、反面常に新しい要素が必須となり同時に好評だった要素も消える可能性もあるため、シリーズによって作品の出来不出来が大きく分かれ、またプレイヤーにとって毎回新要素に慣れなければならないと言う問題点も存在する。

定着型はいわゆる「そのシステムの存在がなければ続編とは成り立たない」と言うものであり、初期のウィザードリィやドラクエなど、基本的なシステムや画面構成はほとんど変化せず、シナリオやグラフィック部分のみが進化している、と言うタイプのゲームだ。

ウィズとドラクエを見ればわかるよう、システム自体の完成度が非常に高い事が必須条件なため、それなりにプレイ出来る続編が製作される可能性は高いのであるが、やはりその反面「マンネリ」と言う言葉が避けられないと言う宿命がある。





そしてこのグラディウスシリーズもその定着型に完璧に当てはまってしまうゲームであり、前衛から内部へと続くステージ構成、火山、モアイ、ボスラッシュ、最後は要塞と言う面構成、そして何よりパワーアップゲージによるパワーアップ方式にオプションを始めとする各種パワーアップと、グラディウスシリーズを維持するに必要不可欠な要素があまりにも多すぎるのだ。

もちろんそんな伝統は守らずとも、メーカーがグラディウスの続編と言い張ればそれは続編と成り得る訳であるが、熱烈なファンが多い以上変えたら変えたでまたクレームが殺到する事は確実であり、自分の作ったゲームが批判されるのは誰もが嫌である以上なかなか難しい問題がある。



グラディウスVはそれら多くの伝統を打ち破り、新たなグラディウスを誕生させる事に成功したが、それはトレジャーと言う外部の人たちによる開発である事が大きかった。

格闘技団体「パンクラス」が旗揚げした当時、あまりにもセンスの良いそのロゴマークが大人気を呼び、興行ポスター等もそれまでのプロレス団体の常識を打ち破ったものとして大きな話題を呼んだが、これらはデザイナーがプロレスに関心がなかった事だから出来たと言われ、既成の団体であれば絶対に採用されなかったと言われているが、要するに内部の人間だけではなかなか新しいものは生み出せ辛いのだ。




結局それらの要因が影響したかグラディウスIVは一部新パワーアップとポリゴン使用のグラフィックが目立った程度で、他に大きなインパクトがなかったばかりかゲームそのものがグラIIの焼き直しと言うイメージが強く、あらゆる部分がグラIIに酷似したゲームとなってしまった。

近年のシューティング人気を考えれば、多くの人や時間を費やしてまで新たなアイデアを生み出す事はない、とでも考えたのだろうが、やはり多少の非難を覚悟の上でも従来のシステムを大胆に改革し、新たなグラディウスを生み出して欲しかったと今更ながら思ってしまう。





あとがき

グラディウスIVの発売時はゲーマーではなかったため、特に思い入れもありませんでしたので当初は製作するつもりは全くなかったのですが、後に容易にPS2の画像を収められるようになった事をきっかけとして完成させました。テーマ自体は前々から頭にあった事なので、ほとんど考える事もなく一気に書き上げる事が出来ました。

これまで散々「グラIIの焼き直し」と言われてきた今作ですが、では何故そうならざるを得なかったか、と言う説明は私の知る限りありませんでしたので、「オバケのQ太郎」を引き合いに出した解説はこのサイトの中でも最も上手く言った例だと思っています。ゲーム性は開発者が意図的にそうしたから、と言う文章を読んだ事がありますので、その辺りを考察して完成させました。





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