ARCADE MANIAC

アーケードマニアック 第27回


1982 NAMCO

『XEVIOUS』

文責:渋谷洋一

協力:二木康夫/斎藤 伸




革新衝撃

『ゼビウス』は82年にナムコから発売されたたてスクロールシューティング。当時のゲームのグラフィックといえば原色をメインとした、派手でケバい大味なものが主流だった。
そんな時代に、『ゼビウス』は突如として現れた……。

'82年2月、私はまだ中学生。手がかじかむような、とても寒い時期だったのを覚えている。池袋のゲームファンタジアの2階に上がり、テーブル筐体がところ狭しと並べられた、暗い部屋を見わたすと、見慣れない黄緑色の光を放つ、モニターがあった。本能的にニューゲームだということを感じ足速に近付くと、そこには見たこともない美麗なグラフィックのゲームがあった。『ゼビウス』ギリシャ語のような響きを持つ、不思議な言葉だ。さっさとジャンパーのポケットからコインを取りだし、スタート……。

今ではなんでもないたてスクロールだが、宇宙空間が大部分の黒い物体が動く、これまでのスクロールとは訳が違う。地形全体がなめらかに移行する。シミュレーターを見ているような感覚だ。そして操るソルバルウの美しさ。グラデーションが細かく綺麗につけられたグラフィックは、見る者に衝撃を与えた。グラデーションは陰影を作り出し、太陽があり、光がある世界を初めてビデオゲームで表現したからだ。そのリアルな映像は、ふだんコンピューターなんて機械を意識したことがない人にまでコンピューターであることを感じさせ、コンピューターグラフィックという言葉を連想させた。

何もない地表をブラスターで撃つ。するとスーッと浮かび上がるように出現するソル。こんなスカシた隠れキャラがあっただろうか。しばらくすると突然、飛んできてソルバルウの側面に並行するシオナイト。敵だか味方だかわからない。と思っていると、また突然画面外へスッ飛んでいく。

謎と神秘性がプレーヤーを『ゼビウス』の世界へズルズルと引きずり込んでいく……。ゲームオーバー。ハッと我に返る……。スゲェ。ビデオゲームにここまで感動させられたのは『インベーダー』以来か? 私の心は興奮に打ち震えた。たまらず、友人に電話した。「樋口か、とにかくスゲェゲームがあるから、急いで来いよ」。駆けつけた友人も首を振って納得。電車賃を残し、持ち金が尽きるまでプレーして、その日は帰った。

後に『ゼビウス』は大ヒットし、ストーリーは小説化され、同時にレコードやビデオも発売された。 '80年に発売された『パックマン』以来のその功績は、ナムコに第2期黄金時代をもたらした……。

しかし、名作『ゼビウス』は問題も引き起こしてしまった。遠藤雅伸氏の偉大なストーリー小説は、他のメーカーのゲームデザイナーたちにも強力な影響を与えた。しかし、それは喜ばれるものではなかった。ゲームにはストーリー性が重要で、それが受ける、売れる原因だとメーカー側は勘違いしてしまったのだ。そのおかげで、ストーリーがあまり重要でないシューティングゲームや、アクションゲームにもストーリーはついてまわった。このへんな風潮は、特にファミコンなどのコンシューマーのソフトによく見かけられる。

『ゼビウス』のストーリーは大ヒットしたからこそ出現した。名作だからこそ、後に小説化されたのだ。本来シューティングゲームにストーリーはいらない。プレーヤーがゲームをプレーするうちに、それぞれ勝手にイメージして世界を想像し、その人なりの仮想現実を創り出してこそビデオゲーム。コンピューターゲームの目指すところが仮想現実なら、なおさらそうなってほしい。

『ゼビウス』のゲームバランスは優れたものだった。そして、大ヒット作ゆえに多くの人々がプレーし、当然中には体力の続く限りプレーできる、突出した反射神経の持ち主も現れてきた。そのわずかな人々にゲームバランスを合わせたゲームが、『ゼビウス』のアメリカ輸出仕様『スーパーゼビウス』だ。

しかしこれはあまりの難度で、マニアも舌を巻くほどだった。ナムコ直営のキャロットなどのゲームセンターでのロケテストだけで、このゲームは発表されずに終わってしまった。結局、アメリカにはスーパーではない『ゼビウス』が、アタリ販売で発売され、アメリカでもヒットを収めた。


GAMEST AND FAMITSU REPRINTED EDITION


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