タッグチームプロレスリング | |
ナムコ 1986年4月2日発売 4900円 320K プロレス 8方向移動 Aボタン パンチ 技決定 Bボタン 技選択 |
初の本格的プロレスゲーム |
データイーストのアーケードゲーム、「ザ・ビッグプロレスリング」のファミコン移植版。 ファミコンのプロレスゲームでは、前年発売された「キン肉マン マッスルタッグマッチ」に続く2作目だが、そのキン肉マンはプロレスゲームというにはあまりにもお粗末でクオリティが低い作品なため、ファミコンのまともなプロレスゲームはこのゲームが最初と言いたいところだ。 |
登場キャラ |
今日のプロレスゲームは、新日本公認であれば新日本の主力はほとんどがゲームで再現されているのが当たり前だが、このタッグチームプロレスリングでは1Pプレイであれば選べるチームは1つだけで、さらに相手も1つだけという、今では考えられないような出来となっている。 そんな訳で何面進んでも同じチームとしか対戦できず、単に難易度とキャラの色が変わるだけとなっているのでゲーム的にはかなり単調になっている。 その2チームというのは、1P側のリッキーファイターズが当時最も人気のあった日本人レスラーである長州力をモデルにしたリッキーと、ヒロ斎藤と高野俊二とカルガリー・ハリケーンズを結成していたスーパー・ストロング・マシンをモデルにしたウルトラマシーンのふたりで、2P・CP側のストロングバッズが赤覆面のマスクロスとアニマル・ウォリアー似のウォーリーのふたりだ。 もちろん各レスラーには通常技の他に、そのレスラー固有の必殺技が用意されているが、リッキーのサソリ固めはウォーリーにしか掛けられないといったように、あらかじめ掛けられる相手が決まってしまっている。 ようは容量が足りないため、掛けられている相手のパターンを2人分用意できなかったからだが、やはり当時は不思議に思ったものだ。 半年後に発売された任天堂のディスク版プロレスでは体型のパターンを全員同じにし、顔だけ変えていたためそういうことはなかったが、このタッグチームプロレスリングでは体型も全員違うため、そういう作りにせざるを得なかったのだろう。もちろん技そのもののグラフィックもかなり少なく、ドロップキックは足を伸ばしたまま一直線に飛んでいき、バックドロップも3パターンしかなかったり、かなり寂しい出来になっている。 |
ゲーム内容 |
これまでに発売されたプロレスゲームのほとんどは十字キーとボタンの組み合わせで技を出していくが、このタッグチームプロレスリングはかなり特殊で、Aボタンで相手にパンチを当てると技名のウインドウが表示され、Bボタンを押すと技が切り替わっていき、再びAボタンを押すとその時表示されていた技を掛けることが出来るというかなり独特なシステムを採用している。 この技のかけかたはコマンド式が主流のプロレスゲームではかなり斬新な操作方法と言ってもいいと思うが、以後この方式を取り入れたプロレスゲームは、ゲーム性はかなり異なるものの、PCエンジンのマニアックプロレスぐらいだった。 それらの技の中にはアルゼンチン・バックブリーカーやネックハンギング・ツリーなどの固め技もあり、相手のスタミナがない時にかけるとギブアップを奪うことができるのだが、すぐにカットが可能なために自軍のコーナー寄りで極めないとスタミナが0でない限りギブアップを奪うのは難しくなっている。またこの時音声合成でギブアップと喋るのだが、このゲームをプレイした人であれば誰もが真似したことであろう。 場外ではボディスラム、バックドロップ、鉄柱攻撃の3つしか技をかけることは出来ないが、ボタンを押す回数はリング上で大技をかける時とさほど変わらないようになっている。 その場外ではカウント1ごとにある程度体力が回復するようになっているが、任意で降りることは不可能で必ず相手に技をロープ際でかけないと降りられないようになっている。 相手のスタミナが0に近くなった時にダウンさせたらフォールで3カウントを奪いにいくのだが、プレイヤーが操作している場合は連射をすればフォールの最中に体力を回復できるので、連射装置があればほぼ確実にフォールを返すことが出来てしまう。 このゲームの最終的な目標は35ラウンドをクリアすることだが、ゲーム自体はそれ以降も続いていくので、この辺はさすがに昔のゲームといったところか。 |
個人的な思い出 |
このゲームの発売当時はややプロレス熱は冷めた感があったため、発売してすぐには購入しませんでした。 ただ近所の知り合いの方が所有していたので、夏休みにプレイすることはでき対戦プレイ等をしたのですが、私はその独特の操作方法は雑誌を読んで知っていたため、初めてでもある程度プレイ出来たものです。 そして翌'87年1月に、在庫処分で安くなった時にこのゲームを購入したのですが、前年に発売された任天堂ディスク版のプロレスがかなり良いできだったため、何かもの足りなかった気はしました。ただそれでも当時はまだプロレスゲームは少なかったので、かなり熱くなったものです。 |