スターフォース


ハドソン 1985年6月25日発売 4900円

縦スクロールシューティング

8方向移動 Aボタン ショット
      Bボタン ショット

ゲーム内容
前年に発売された、テーカン(現テクモ)の同名アーケードゲームの移植版。

面は一応全25エリアに区切られてはいるが、ゼビウスのように明確な区切りがあるわけではなく、点数が一定の状態になると現れるエリア・ターゲットを破壊することによって、次のエリアに進めるようになっている。

ショットは現在では当たり前となった空中・地上兼用ショットだが、縦シューはゼビウスが初プレイの私にとっては当時はかなり不思議に感じられたものだ。





もちろん地上物を撃っていると空中敵が全く撃てなくなってしまうため、全体を通してかなりの連射が要求されるのだが、それではさすがにファミコン付属のコントローラでは限界が来るため、このゲームの発売がきっかけとなってファミコン専用のジョイスティックが各社から続々発売されるに至った。

私もこのゲームをきっかけとして、あのハドソンジョイスティックを購入したのですが、当時はスティックに対応していないゲームもあり、ゲームの対応表なども同梱されていたりした。

当時はコロコロコミックとハドソンがタッグを組み始めた頃で、まずはこのゲームが大きく取り上げていたこともあり、そのおかげでかなりのヒットを記録したものだが、やはりこのゲームの最大の功績は、ファミコン初の全国大会と、ファミコン界最初のスターを生み出したことだろう。



キャラバン大会
1985年の夏休み、コロコロコミック、ハドソン、TDKの3社主催による、第1回目のファミコン全国キャラバン大会が開催されたが、この記念すべき第1回目の採用ソフトがこの「スターフォース」だ。

北と南の2手に分かれ、順に東京方面へと向かって全国を周って行くという形式が取られたが、この時それぞれのルートに帯同したのが、高橋名人と毛利名人だ。

1年後は映画にまで出演した二人だが、まだこの当時は無名に近く、何故名人と呼ばれているのか良くわからない部分が多かったのだが、とにかくこの大会が二人がスターダムにのしあがるきっかけとなったのだ。




キャラバン公式ルールは予選が2分間、決勝が5分ルールで行われ、コントローラは付属のものかハドソンジョイスティックのどちらかを選んでいく。

開催前のコロコロの特集では、決勝は2体目のラリオスが出現する辺りまで行くことが出来、スコア的には26万点前後が目安ということが掲載されていたのだが、当時はそこまで行くことすら出来なかった私にとってはとても手の届かないスコアだった。

そして優勝者はコロコロの予想を遥かに上回る31万点強のスコアを叩き出し、キャラバン大会は幕を閉じた。





ファミコン版の特徴
グラフィックが違うのは仕方がないとしても、基本的にはアーケード版を忠実に移植しており、浮遊大陸の造りや敵の出現順やアルゴリズムなどはほとんどアーケード版と変わりはないので、移植ゲームとしての出来はかなりのレベルだ。

ただファミコンユーザーのレベルに合わせて、難易度はかなり抑えられており、敵の攻撃が穏やかなのはもちろん、それ以外にも変更点が加えられている。

ジムダ・ステギは横画面ということもあるが、10個連続で取れば8万点ボーナスが入るようになっている。




マジッカもアーケード版とは異なりスコアの100の位の数字によりケラが出るようになっており、うまくすれば1回のマジッカ地帯で最高3つのケラを出現させることが出来る。

また難易度とは関係ないものの、何故かエリア・ターゲットの動く方向が100の位が奇数で右、偶数で左と言ったように、アーケード版とは逆に動くようになっている。

地上絵はさすがにアーケード版のような象形文字ではなく、砂漠とボーナスの絵になっている。当時私が持っていた攻略本には、ファミコン版の地上絵は掲載されておらず、アーケード版の地上絵のみが掲載されていたが、そのためファミコン版もアーケード版のような絵を想像していたので、実際に見た時はかなり拍子抜けしたものだ。




個人的な思い出
私が初めてプレイした縦スクロールシューティングはもちろんアーケード版のゼビウスですが、ファミコンで初めて購入した縦シューはこの「スターフォース」です。

購入したきっかけはもちろん当時購読していたコロコロコミックの影響であり、発売日に買ったかどうかは覚えていませんがとにかくすぐに購入しました。

購入してまず印象深かった事は、当時コロコロで連載していたファミコンロッキーでこのゲームが登場した時はハドソン初期のソフト同様「Hu」の文字をあしらったデザインだったのですが、実際は絵入りのステッカーだったのでこれはちょっと残念に思いましたね。



と言うのは個人的に「Hu」のデザインが好きでしたので、出来ればスターフォースもそのままにして欲しかったと思ったのですが、任天堂のソフトもその頃から絵入りに変更されていきましたし、まあそれだけファミコンが有名になり力を入れ始めたと言う事なのでしょう。

プレイに関してはとにかく先に進むことが出来ず、発売当時のコロコロコミックのスターフォースの記事に「999万点への道」とかいう特集があったのですが、正直その記事はインチキをしてるんじゃないかと思ったぐらい私にはとても難しく感じました。

とにかく最初の頃はリーバが出てくる青い大陸あたり進むのがやっとであり、ラリオスのボーナスも当然無理、コロコロのキャラバン大会の特集であった宇宙ステーションまで行くのが当時の夢でした。


スターフォース用に作られたというハドソンのジョイスティックを買えば少しはマシになると思い発売されるとすぐに購入したのですが、正直全くまともに操作できずあっというまに使わなくなってしまいました。

そして翌月のコロコロコミック9月号では袋とじで地上絵の写真やスーパー・ソニックなどの難敵の攻略法などが載っていたのですが、私が一番役に立ったのが「ラリオス流星撃ち」なるものでした。

これまでラリオス5万点ボーナスの取り方は奴のコアの右下か左下に張り付いて撃ち込むというのが常識だったのですが、この「ラリオス流星撃ち」では全く逆の発想を用いり奴の下のパーツの外から撃ち込むというものであり、このおかげで私にとっての鬼門だったラリオス5万点ボーナスをようやく取れるようになりました。


しかし1周への道は遠く相変わらず宇宙ステーション辺りが限界で、ビゴーラが顔の姿になるというのも夢の夢でした。

その後ジョイボールなるものが発売されるとこちらもすぐに購入したのですが、確かに横に並んだジムダを全滅させたりできたことは良かったものの、連射が速ければ1周できるというほどこのゲームは甘くはないのですぐに使うのをやめてしまいました。

そんな頃、私が当時仲の良かった友人は毎週週刊少年ジャンプを読んでいたのですが、袋とじの企画でコロコロでは扱わなかったあの技が載ってしまったのです。

−そうです、もちろん無敵技です。


早速友人宅でその無敵技を試したのですが、自機の当たり判定が完全に消えてしまうため、パーサーが取れなくなってしまうのは残念でしたが、そのおかげでビゴーラの顔も見れましたし、インフィニティまで行くこともできましたので、邪道ではありますが当時としてはそれでも満足したものです。

それから数ヶ月が過ぎ、3学期も終わろうかというある日のこと、スターフォースを正座しながらハドソンジョイスティックでプレイしていると急にボタンを速く撃ててしまい、ひょんなことから痙攣撃ちをマスターすることが出来ました。

その後コロコロコミックはスターソルジャーを大プッシュしていったのですが、痙攣撃ちをマスターしてからは予行練習みたいな感じで、再びスターフォースを良くプレイするようになりました。

そして待望のスターソルジャーが発売されると私は毎日やり込んで1周クリアも夏休み中にできたのですが、スターフォース1周はその当時でもできておらずエリアの最高は砂漠を抜けたあたり、スコアは200万が限界でした。

それから数年後、中学生になった私はアーケードゲーマーになったこともありさすがにそれまでの家庭用のシューティングは易しく感じるようになったため、スターフォースもようやく1000万点を自力で達成することができました。







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