ドラゴンクエスト | |
エニックス 1986年5月27日発売 5500円 フィールド型RPG 十字キー コマンド操作 キャラクター移動 Aボタン 決定 Bボタン キャンセル |
衝撃 | ||||||||||||||
今やゲームを知らない人も知っている、超大作RPGの記念すべき第1作目。 ドラクエI発売3ヶ月前には「ゼルダの伝説」が発売され、ファミコンでもスコアの存在しないフィールド型ゲームが発売されるようになってきたが、このドラゴンクエストのようなアクション性皆無のコマンド入力式フィールド型ゲームは存在しなかっただけに、当時のファミコンゲームの中では極めて異質な存在だった。 当時はまだまだファミコンと言えばアクションやシューティング中心で、さらに高橋名人の大ブレイクもあって正反対のゲーム性を持つスターソルジャーが大注目のゲームだっただけに、どの雑誌もドラクエをトップ記事に持ってくるということはなかったが、何故か週刊少年ジャンプのみ巻頭の袋とじ企画にて大プッシュを始めていた。 その頃のジャンプと言えば、まさに黄金時代であり大変な発行部数を誇っていただけあって、ドラクエの名前は大抵の子供たちは知っていたものだが、発売直後はブームになるということもなく静かな出足だった。 しかし、次第にドラクエの持つ面白さが子供たちの間で評判になっていき、秋も深まる頃になるとファミマガでもウル技が豊富に掲載されるなど専門誌でも大きく扱われ始めていき、その年から始まったファミマガのゲーム大賞においてゼルダの伝説に次ぐ2位を記録した。 そしてそのドラクエ1の成功が、以後のシリーズに繋がっていったのはご存知の通りだ。 |
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主人公になりきる | ||||||||||||||
このドラゴンクエストをプレイしてプレイヤーが一番衝撃だったのは、やはり自分の名前を入れてプレイできるという部分だろう。 もちろんどんなゲームでも自分の指でマイキャラを動かしてはいくのだが、あくまで第3者的なものを操っているのであって、自分自身と重ねてプレイしていた、という感覚を受けることはほとんどなかった。 しかしこのドラゴンクエストでは、王様や城の兵士、街の人々などが、まるで自分自身に話しかけているような感覚を覚え、戦闘でも自分自身が勇者となって戦っている錯覚を受けるのだ。 以後発売されたRPGでもほとんどが名前が入力可能となり、ドラクエの以後のシリーズでももちろん任意の名前を入力出来るのだが、ドラゴンクエストIほどの感情移入はなかった。 というのはすでにイメージイラストなどで主人公のイメージが固まった状態からのプレイになってしまうため、いかに名前を入力出来ようとどうしても第3者となってプレイしている、という感覚を拭えないのだ。 ドラクエIが何故そこまで感情移入出来たかという要因は、主人公の勇者のキャラクター設定が勇者ロトの末裔という程度で、パッケージイラストも正面から顔は見えずイメージがはっきりしなかったため、その分自分なりのイメージを創りあげることが出来たからだ、と私はそう思っている。 |
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音楽の素晴らしさ | ||||||||||||||
そしてドラクエを語る上でもうひとつ絶対に忘れてはならないのが、BGMの素晴らしさだ。 それまでのゲームでは音源がショボイということもあったが、普通にクラシックが使われていたりするなど案外適当に作られているといった感があり、BGM単体で通用する楽曲は少なかった。 しかしこのドラゴンクエストではすぎやまこういち氏という著名な作曲家を起用し、中世ヨーロッパの世界を想定したというドラゴンクエストの世界にピッタリなクラッシック系の曲が創られ、そしてそれらの楽曲がそれまでのゲームからは想像もできないような素晴らしいものだった。 特に個人的に最も衝撃を受けたのはやはりラダトーム城の曲だ。 名前入力直後はご存知のよう王様からいきさつを聞くシーンとなるが、その王様のなんとか竜王を倒してほしいという悲壮感漂うコメントがラダトーム城の曲とあまりにもマッチしており、私はその時点ですでにこのゲームの虜となっていったのだ。 このラダトーム城の曲はシリーズを通しても一、二を争うほどの超名曲だと思うのだが、ラダトーム城の一階に降りてしまうとサビの部分が流れないのは残念だった。 そしてもうひとつ忘れてはならないのがフィールドの「広野を行く」だ。 一歩城を出てフィールドに出たら常にモンスターと遭遇する可能性がある訳だから、それまでのゲームであれば「ゼルダの伝説」のような勇ましい曲流れるのが一般的だった。 しかしこのドラゴンクエストではそういった勇ましさよりも、たったひとりで旅に出るという、そういった孤独感や悲壮感を現している曲であったので、寂しい気持ちになりながらも強く心に残ったものだ。 あまりにもBGMの評判が良かったせいか、4ヵ月後にはゲームミュージックとしては初めてフル・オーケストラによるサントラ盤が発売されたが、この出来もあまりにも素晴らしいものだったため、以後ドラクエのソフトと共にサントラ盤の発売にも大きな期待がかかったものだ。 |
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個人的な思い出 | ||||||||||||||
私が初めてこの「ドラゴンクエスト」という名のゲームを知ったのは、'86年4月にテレビ東京系で放映されたファミコンの特番の新作のコーナーでした。そこではラダトームの町の場面のみで、音楽もゲーム中の音ではなかったのですが、その時の印象は正直「ショボイ」の一言でしたね。 どういうゲームなのかはそれだけでは伝わらなかったのというのが一番なのですが、何といってもあのカニ歩きがダサくて、「何だこのゲームは?」といった感じでした。しかし5月下旬のある日曜日の昼間、今度はフジテレビでファミコンの番組が放映されたのですが、そこではドラゴンクエストのタイトル画面とフィールド画面、そして戦闘シーンが流れ、より詳しい紹介がなされBGMもプレイ中の曲がそのまま流れたのですが、この時私はそれまでのファミコンの曲とは全く趣の違う、あまりにも格調の高い曲にものすごい衝撃を受けました。 この後ビデオで何回も繰り返して曲を聴いたほどですから、いかに衝撃が大きいものだったかがわかってもらえるかと思います。 ただゲーム自体はジャンプを毎号買っていた友人が発売日に購入することになっていたため、その友人がクリアしたら貸してもらってプレイさせてもらう、ということになっていましたのでとりあえず私は待つことにしました。まもなくその友人の家でプレイさせてもらえたのですが、レベルは23まで行っていたものの、ロトのしるしのありかがわからなかったようで、その謎が解けるまで私に貸してもらえることになりました。 もちろんその時に初めてプレイすることが出来たのですが、これまで紹介してきたようこの時私が受けた衝撃というのは大変なものであり、ゲーム開始から数秒でドラクエの世界へと引き込まれていったものです。 その後そのままソフトを借り、以後自宅でやり込んでいったのですが、もちろんひとりでプレイすることが多かったため、ダンジョンが非常に怖かったですね。たいまつがないと何も見えませんし、たいまつがあっても上下左右1ブロックずつしか視界が広がらないので、闇が画面上のかなりの範囲を占めてしまうのに加え、下に降りて行くにしたがって遅くなるBGMが当時の私には実に怖いものがありましたね。 そんな訳でガライの墓に行かなければならなくなったら嫌だな、とか思いつつプレイしていたのですが、レベルが7〜8ぐらいになった頃、その友人がロトのしるしのありかがわかったらしく、ガライの墓へ行く前に返すことになってしまいました。その後の事はよく覚えてはいませんが、10月ぐらいになってやっと私も購入し、最後までプレイすることができました。 そのようにしてやっと自力で初めて感動のエンディングを迎えたのですが、それまでの最高のエンディングはドルアーガの塔だと思っていましたので、このドラゴンクエストのエンディングの素晴らしさ、特にそのエンディングテーマには本当に感動させられたものです。 |
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