GIANTGRAM2000
全日本プロレス3
栄光の勇者たち

DC セガ 2000年8月10日発売

5800円 GD-ROM

15KHzRGB出力:画質2

8方向移動 ボタン配置は任意で設定可能



至高のプロレスゲーム
2000年という年は、今日までの全日本の30年に渡る歴史の中で最も波乱に満ちた年であった。

5月に全日本プロレスを長きに渡って支え、日本プロレス史に永遠にその名を残す大レスラーであるジャンボ鶴田が逝去、6月には川田と渕以外を残し、三沢を始めとするプロレスラーが大量離脱し団体の存続が危ぶまれ、いつ崩壊してもおかしくないという状況に陥っていたのだ。

そんな状況の中で発売されたのが、セガによる全日本プロレスのゲーム第3作目となる「GIANTGRAM2000 全日本プロレス3 栄光の勇者たち」だ。



ゲームシステム自体は第1作目からほとんど変わっておらず、相変わらず格ゲー色が強いものの、実名を使用したプロレスゲームの中では間違いなく最高峰の出来を誇っており、全国のゲーム好きのプロレスファンから絶大なる支持を得ることとなった。


伝説のレスラーたち
それまでの2作では、登場レスラーは一部のトップクラスに限られたため、プロレスゲームとしてはやや物足りない人数だったのだが、この全日本プロレス3では高山や大森などトップを狙うレスラーたちも追加され、大幅に層が厚くなった。

これまで余計の一言だったバーチャキャラがようやく姿を消してくれたのも、大歓迎すべき変更点だ。

しかし、このゲーム最大の売りはやはり過去の日本プロレス界を彩った、伝説的レスラーが当時の姿そのままに登場することに尽きる。




戦後最大のスーパーヒーロー力道山を始めとし、全盛期のジャイアント馬場をハイジャック・バックブリーカーで軽く振り回した"殺人台風"ドン・レオ・ジョナサン、初の黒人レスラーのスターであり、「ココ・バット」で力道山の頭を大いに苦しめた"黒い魔神"ボボ・ブラジル、昭和38年5月24日の東京体育館、今もなお一線級のレスラーの得意技としてその名を残す永遠の必殺技「フィギュア・4・レッグロック」をひっさげ、力道山と至上の名勝負を演じた"白覆面の魔王"ザ・デストロイヤー…。

日本プロレスのエースがジャイアント馬場に引き継がれた昭和40年代、日本プロレス初の日本武道館大会のメインで、馬場と死闘を演じた"鉄の爪"フリッツ・フォン・エリック、大阪球場で馬場が保持するインターナショナルヘビー級選手権をかけて闘った"荒法師"ジン・キニスキー、そして馬場のアメリカ遠征時代からの親友で、全日本旗揚げ時にも参戦した"人間発電所"ブルーノ・サンマルチノ。

全日本のマット上で馬場、鶴田、そして後に新日本にも参戦し、猪木と数々の名勝負を演じた"超獣"ブルーザー・ブロディ、長年くすぶっていた才能をUWFインターで開花させ、全日本に移籍してからはそのスープレックスで三沢や小橋らを大いに苦しめたゲーリー・オブライト。


そして全日本の創設者であり、力道山死後の日本プロレス界を長きに渡って支えた"世界の巨人"ジャイアント馬場、あまりの強さに日本人最強レスラーの名を欲しいままとした"完全無欠のエース"ジャンボ鶴田など、まさに日本のプロレス史を語る上で絶対に欠かすことの出来ない偉大なレスラーたちが、このゲームに一堂に介しているのである。

特にジャンボ鶴田などは最初にも触れたようゲーム発売直前になって惜しくも逝去してしまったこともあり、全盛期そのままの姿でゲーム上に登場したのを見た時は、私は目頭が熱くなってしまったほどだ。

これだけのレスラーが登場する、ということでも十分快挙と言えるのだが、逆に言えばここまで出来るのであれば、やはりあのレスラーたちも登場して欲しい、というのもプロレスファンとしての本音だ。






全日本と言えば、まずは外国人レスラーとしては日本プロレス史上最高の人気を誇った"テキサス・ブロンコ"テリー・ファンク、その兄であり、かつて世界最高峰のNWA世界王座を4年3ヶ月に渡って守り続けた"グレート・テキサン"ドリー・ファンク・ジュニア、昭和51年2月の来日からジグソーの「スカイ・ハイ」を入場曲に使用し、一気にプロレス界にテーマ曲ブームを根付かせ、少年少女ファンのヒーローとなった"仮面貴族"ミル・マスカラス、NWA世界王座を7度も獲得し、ジャイアント馬場が2度NWA世界王者を奪った相手でもある"ミスター・プロレス"ハーリー・レイスらも、全日本プロレスを長きに渡って彩ってきたレスラーなだけに、どうしても欲しかった所だ。

しかし、プロレス史を語る上で絶対に欠かすことの出来ない力道山VSザ・デストロイヤー、ジャイアント馬場VSフリッツ・フォン・エリック、ジャンボ鶴田VSブルーザ・ブロディなどの対戦がこのゲームでは実現出来るのだから、上記のような願望は贅沢すぎると言うものだろう。


















バーニング技
このGIANTGRAM2000では、各レスラーの最高の必殺技はバーニング技と名づけられており、ライフゲージ上部の炎がMAXになると、LRボタンの同時押しで使うことが出来る。

バーニング技は各レスラーが得意技を連発するというものが多く、ゲーム用の名称が新たに付けられているのだが、この名称がまた素晴らしい。

特に見事なのが、力道山とジャンボ鶴田だ。






昭和29年2月19日、初のプロレス国際試合で、まさに雲を付くような大男のシャープ兄弟を、相撲のつっぱりをヒントに編み出したと言われる"伝家の宝刀"空手チョップで叩きのめし、敗戦に打ちひしがれアメリカ人コンプレックスに陥っていた我々日本人に勇気を与え、その後も並み居る海外の強豪をマットに沈めていった力道山。

「空手チョップ世界を征す」…力道山の空手チョップを表現するのに、これ以上ない素晴らしいネーミングだ。

これだけでも満足なのに、若林アナの「空手チョップ、連発! これぞ世界を震撼させた力道山の空手チョップ!」、「この迫力、この威力、この威圧感! 空手チョップこそ日本の文化だ!」という最高の実況がさらに我々の胸を熱くさせる。

そしてジャンボ鶴田は、デビューしてからしばらくはドリー・ファンク・ジュニアの教え通りに足をかかえるバックドロップを使用していたものの、ルー・テーズの「バックドロップはヘソで投げる」の教えを乞うてからは一気に必殺技として開眼し、天龍、三沢、川田らを大いに苦しめた完全無欠のバックドロップ。

その真骨頂が、昭和59年2月23日、蔵前国技館においてAWA王者のニック・ボックウィンクルと、自身の持つインターナショナル王座をかけて対戦した、あのダブルタイトルマッチ戦だ。

ニックがエプロンの鶴田にかけた、ロープ越しのブレーンバスターを空中で切り返し、すかさずバックを取りバックドロップホールドを決めカウント3を奪い、見事日本人初のAWA王者となったあの試合…。

「世界をとったバックドロップ」…これだけであの名場面が目に浮かんでくる。

そして最後の一撃はリプレイで2回流れるなど、演出に関しても素晴らしい。







若林健治アナウンサー
そしてこのGIANTGRAM2000では、遂に長きに渡って全日本プロレスの実況を務められた若林健治アナウンサーの実況が実現した。

'84年から全日本の実況を始められ、本当にプロレスが好きだということがそのままファンに伝わってくる熱い実況で、数々の全日本プロレスの名勝負を担当してこられファンからも絶大なる支持を得てきたあの若林アナウンサーの実況を、遂にゲーム上で聞くことが出来るのである。

実際の全日本の実況でも、幾多の名言を生んでこられた若林アナだったが、もちろんこのゲームでもそれらの名言を聞くことが出来る。


特に私が好きなのは、90年9月に行われた鶴田VS三沢戦の鶴田入場時での「プロレスで泣いて、プロレスで笑って、気が付くと僕は大人になっていた、命をかけても守りたいプロレスの灯、全日本!」というフレーズだ。

実際の実況では若干台詞は異なっていたが、当時は大量離脱間もない頃で全日の存続が危ぶまれていた頃だけに、これは若林さんの素直な感情だったのだろう。

私のように小学生からプロレスを見ていたファンにとっては、本当に胸に残る名セリフだ。


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