ストリートファイターII

カプコン 1991年3月7日発売 

横画面 対戦格闘

8方向レバー キャラクター操作

パンチボタン×3(弱・中・強)
キックボタン×3(弱・中・強)

歴史を変えたゲーム
1991年3月、カプコンのCPシステム第14弾のゲームとして発売されたアーケードゲームは、発売と同時にアーケードゲーマーたちを熱狂の渦に叩き込み、2年以上もゲームセンターに置かれる異例のロングヒット作となった。

さらに、このゲームはただのヒット作という位置にとどまらず、それまでのアーケードゲームの主流であった「プレイヤー対開発者」という図式を、「プレイヤー対プレイヤー」に変えてしまい、それまでのゲームセンターの風景まで変えてしまったのである。

そのゲームこそ、全ての対戦格闘ゲームの原点であり、もはや伝説的存在となった「ストリートファイターII」だ。



魅力あふれるキャラクターたち
「ストリートファイターII」というゲームにおいて、まず目に付くのはそのキャラクターの多さだ。

「8人」という人数は、今でこそ大したことのないように感じられると思うが、何せこの当時は前年のゲーメスト大賞授賞作品である、ファイナルファイトの3人でさえ大変多いと感じた時代である。

そんな時代に発売されたのだから、いかに「8人」という人数が多いかがわかってもらえるだろう。さらに人数が多いだけでなく、選択しなかった7人は、プレイヤーの敵となって立ち向かってくるというのもストIIの大きな魅力のひとつだ。



これにより、どうしても闘いたくないキャラクターは、「プレイヤーとして選んでしまえば闘わずに済む」、という、それまでのゲームではとても考えられなかった新たな遊び方も生むことに成功する。そして、何と言ってもひとりひとりのキャラクターの出来栄えがまた素晴らしい。

この当時、なめらかな動きをするキャラクターと聞かれて真っ先に思い浮かべるキャラクターと言えば、やはり再び登場のファイナルファイトの3人であり、初めてその画面を見た時に誰もがそのなめらかな歩行のアニメーションには驚いたことであろう。しかし、このストリートファイターIIのキャラクターの動きはそれを完全に超越していた。



何の操作もしていない、ただ立っているだけの状態であってもまるで本当に息使いをしているかのように体を動かし、繰り出される技もボタンの威力で全く違う技が用意されており、さらに同じボタンを押しても距離によって違う技が繰り広げられるのである。

ウィザードリィ2に出現する、KOD'sアイテムが敵として出現した時の不確定名は「命を吹き込まれたもの(Animated Object)」だったのだが、このストリートファイターIIこそ、ゲーム上で初めて「開発者によって、キャラクターに初めて命を吹き込むことに成功した」ゲームと言えるだろう。




当時初めてストIIの画面を見たプレイヤーたちは、皆その命を吹き込まれたかのようなキャラクターの動きによって、すぐに画面に釘付けになったものだ。


ゲームシステム
プレイヤーは8人のメインキャラクターからひとりを選択し、残りの7人と、四天王と呼ばれる4人のCPU専用キャラクターの計11人に勝利していくのが目的。

操作は8方向レバーと、弱・中・強の3段階に分かれたパンチとキックの6つのボタンで行う。ただし当時はゲーメストの影響で、ほとんどのプレイヤーが大・中・小と呼んでいた。

レバーでの操作は、上方向でジャンプ、左右で前進と後進を行うのだが、相手が攻撃をしてきた時に相手と逆方向にレバーを入れるとガードになるというのがポイント。




今でこそ当たり前のシステムだが、当時は最初の内はなかなかとっさにガードすることが出来ず、一緒にプレイしていた仲間たちと「ガードは後ろだぞ」と教えあいながらプレイしていたものだ。

こうして見ると、2つボタンが主流のアーケードゲームにおいて、ボタンを6つも使うストIIの操作は非常に難しそうに見えるため、一見すると操作に慣れるまで十分にゲームを楽しめなさそうな感じがするが、実際は適当にボタンを叩いているだけでも楽しめてしまうのがこのストIIの本当に凄い所だ。そのため、操作に慣れるまでの過程が苦痛に感じることなど一切なく、気が付いたらいつの間にか自由に操作が出来るようになっているのである。


この当時はアーケードゲームの難易度高騰が問題となっており、初心者と上級者のどちらも楽しめるゲームを作ることなど不可能と思われていた頃であっただけに、それをたやすく実現してしまったストIIの凄さというのが余計に際立って見えたものだ。

特に一般向けのゲームばかりリリースし、ゲーマーからソッポを向かれつつあったナムコやセガにとって、初心者と上級者のどちらにも大きな支持を受けたこのストIIの登場はどのように映ったのだろうか。





その後、両社とも再びゲーマー向けのゲームを多くリリースし始め、ゲーマーから再び支持を受けるようになっていくが、その影にはストIIの影響が大きく存在していたことは間違いのないところだろう。こうして考えてみると、ストリートファイターIIというゲームがいかに偉大であったかということを、今なお改めて思い知らされる。


当時のゲーメストの状況
ゲーメストでもストIIの記事は大きな盛り上がりを見せ、ダッシュが発売される直前の92年5月号まで、実に1年もの長きに渡って攻略記事が掲載されていった。

まず91年4月号で初めてストIIのゲーム内容と、8人のメインキャラクターが紹介されると、翌5月号では8人の必殺技コマンドに加え、早速緊急増ページによるガイルと春麗の攻略記事が掲載された。

何故この2人が選ばれたかという理由は、最もクリアしやすそうだったからという理由らしいが、まだまだ攻略は足払いを中心としたシンプルなものだった。



6月号では巻頭にて四天王が初紹介され、続いて8人の前半8キャラクターに対する攻略記事の掲載、そしてあの「投げはめ」が「ごり押し投げ」という名称で初紹介された。そして月間ヒットゲームにストIIが初登場し、プレイヤー人気、インカム部門ともに800点を越す新記録を達成する。

7月号ではレバーとボタンのイラストを使った簡単な技紹介と、四天王の攻略記事が掲載されたが、春麗のページの「春麗自由自在・これで春麗は君の思うがままだ!!」というコメントが、9月号のつっこみ三昧で突っ込まれた。またアイランドにストIIの投稿が増えすぎたおかげでアイランド出張版のストIIアイランドが2ページに渡って掲載された。ヒットゲームは両部門ともに900点以上を記録し、またまた新記録。

8月号では巻頭カラーページで各キャラクターの相関図が掲載され、ダルシムと像、ゴルビーとヘリコプターがイコールになっているのが話題に。 攻略記事はオールパーフェクトプレイと、中カラーを使って初の対戦攻略が掲載され、後のダイヤグラムもストIIキャラクター相性表という名で初登場。

そしていよいよ「ゲーメスト杯ストIIチャンピオンシップ」なるゲーメスト主催のストII大会の応募がスタート。






ゲーメストによるここまでの大規模なゲーム大会は初めてということもあり、ライター陣は人が集まるのか不安だったらしいが、蓋を開けてみたらあっという間に定員に達し、512人だった定員を600人まで増員したという。

9月号ではCPU戦で旬なテクニックを紹介する、ストIIトレンドパターンが初登場し、ガイルの2000点空中投げなどが紹介された。攻略はそれまでの簡単な補足と、「140万への道」と題した、リュウ・ケンによるオールパーフェクトプレイとダブルKOパターン、そして中カラーでは遂に連続技が「禁断の悪魔技」と称して初紹介され、リュウ・ケンのジャブ・アッパー昇龍拳、ダルシムのヨガ投げ、春麗の投げはめ、そしてザンギのスクリューはめが掲載された。


次ページではカプコン開発陣との対戦記事と、カプコン開発陣へのインタビューが掲載され、春麗に背中蹴りという技が存在したことが明らかに。 また「ストIIで575」という、読者からの川柳を紹介するページもあった。

10月号では8月6日に行われた、ストIIチャンピオンシップの詳細を、会場の熱気がそのまま伝わってくるほどの大きくページを割いて紹介され、最後は共にガイル使いの決勝となり、最終の3ラウンドにじゃんけんに勝利したプレイヤーがガイルを選び、相手のリュウを撃破して勝利。

トレンドパターンはガイルの2000点空中投げの詳しいやり方や、その他小技の紹介。


9月19日には初のゲーム単独の増刊となる「ゲーメスト増刊ストリートファイターII」が発売された。内容は「さすがゲーメスト」と唸ってしまうほどの素晴らしい出来を誇っており、増刷に増刷を重ねるほどのセールスを記録したため、この増刊のおかげで編集部はやっと雨もりを直せたという。

11月号では立ちスクリューとガイル・ブランカの3段攻撃が改めて紹介される。さらに本田の小スーパー頭突きは出した瞬間無敵であることも初めて紹介され、これにより対戦において春麗に対して一気に有利となる。





また、この号からしばらく、マルゲ屋宅配便のイベント時に行われるストII対戦大会の詳細も掲載されていく。「ダルシム小僧免許皆伝」と称した、ダルシム専門の対戦攻略記事もスタート。

12月号のトレンドパターンはややネタ切れ感が強く、新たな投げはめの方法程度の紹介に終始する。

1月号ではバルログとベガに格好良く勝利出来るパターンを紹介。





2月号は毎年恒例のゲーメスト大賞号。大賞はもちろんストIIであり歴代最高の722点を記録し、2位以下を大きく引き離したばかりか、大賞以外にも、ベストグラフィック賞とベストシューティング賞以外の賞を独占した。ベストキャラクター賞でも春麗が第1位に輝いたのを筆頭に、ストIIの8人は全てトップ10入り。

そしてニューバージョンであるストIIダッシュを制作していることも明らかに。攻略ページではガイルの封印技も公開され、これによってダルシムがガイルに対してかなり有利となる。




3月号の巻頭カラーではストIIダッシュの画面写真が初公開され、四天王がプレイヤーキャラとして使えることが判明する。攻略ではリュウ・ケンvsガイル、春麗vsダルシムなどの特定の対戦組み合わせの攻略記事が掲載。

4月号ではストIIダッシュの内容が本格的に公開され、同キャラでの対戦や各キャラクターの強化点、そしてリュウVSケン、ガイルVSダルシム、ダルシムVSブランカの対戦攻略が紹介された。






5月号は恒例のAOUショー特集で、もちろん目玉はストIIダッシュ。

ストIIは各スクリューの詳しいかけ方や、キャラクター相性表の最終版、屈辱技などの記事が掲載され、これがストII最後の攻略記事となった。

91年4月号の初紹介から実に1年1ヶ月に渡って、ストIIの攻略記事が掲載されていったわけだが、ひとつのゲームがこれほどまでに長く扱われていったというのはまさに異例のことで、これだけでも当時の盛り上がりの凄さがわかるというものだ。



そして人気・インカムランキングも91年6月号で初登場1位を記録して以降、どちらも1位をキープしており、ストIIダッシュが発売されてからも、SFCの発売の影響などもあって常に上位をキープしていた。













個人的な思い出
私はストIIが発売された直後はまだゲーマーではなかったので、その名を知ったのは友人からの情報でした。

「ストリートファイターIIは6つボタンが付いているんだぞ」というような感じだったのですが、正直ゲーマーではない私にはピンと来ず、それだけで興味を持つことはありませんでした。

それからすぐにグラIII目当てでゲーセンに通うことになったのですが、グラIIIの筐体の右斜め前にちょうどストIIが置いてあったため、ようやく画面を見る事となったのですが、当時はグラIIIしか見えていなかったので、プレイしてみたいという気持ちになることはありませんでした。


しかし、それから3ヶ月経った7月初旬、グラIIIをプレイした帰りに近所のスーパーのゲームコーナーに行ってみると、ちょうどストIIの筐体が開いていましたので、早速リュウでプレイしてみたらあまりの面白さに瞬く間にストIIの虜になっていきました。

それからは鬼のようにプレイしまくっていきましたが、当初は全く思うように操作出来ませんでしたし、必殺技などは出たら凄いという次元でしたから、ほとんど2面で終わってしまいましたので、車を壊すのがでした。

その程度の腕でしたので、すでにストIIをかなりやり込んでいた知り合いが行っていた投げはめを見ただけでも相当うまく見えたものです。

9月の下旬あたりになってようやくベガまでは行けるようになったのですが、そこからがまた長く、10月初旬になってようやくリュウで1コインクリアすることが出来ました。

1度クリアを果たしたら次は全キャラクリアとか目指すのが一般的なのかも知れませんが、私はそういう気にはならずどうしてもアッパー昇龍拳を出せるようになりたかったのでひたすらその練習に励んでいきました。

11月頃になり、ようやくアッパー昇龍拳を出せるようになると、友人と二人で対戦を始めていきました。




対戦ではガイルとダルシムが圧倒的に強く、その二人に何とか春麗が対抗出来るという図式だったのですが、私たち二人はそれらのどのキャラも興味なく、ストIIをプレイし始めたころから私はリュウ・ケン、ザンギ、友人はザンギと本田ばっかり使っていましたので、どのキャラを組み合わせても互角のカードになりましたから、対戦の本当の面白さを実感することが出来ました。

また負けた方が次の対戦のお金を払うということもせず、開いているストIIの台を見つけたら二人ともすぐに50円玉を5枚ずつほど並べてから対戦を始めるという方式をとっていましたから、対戦の結果によってお互いの仲に亀裂が入るということもありませんでした。


しばらくはそんなやり方が続いていったのですが、12月のある日ゲーセンに行くと、リュウがアッパー昇龍拳を使ったりするなど、アルゴリズムが全く異なるストIIが置いてあるのを見たのです。筐体を見ると、「対戦台」という張り紙がしてあったのですが、それを見ても私と友人はまだ良く理解出来ず、不思議な気持ちが消えないままとりあえずその「対戦台」なる筐体にコインを入れてプレイしていきました。

それから1週間ほど経った頃、別のゲーセンでまた「対戦台」という筐体を見つけ、誰もプレイしていなかったので友人がプレイしていったのですが、反対側に置いてある筐体に、1P側でプレイしている友人と全く同じプレイが映っていることに気付いた時、ようやく私たちはその「対戦台」なる筐体を理解する事になりました。

それからは対戦台を中心に対戦プレイをしていったため、友人以外の方とも対戦をプレイしていったのですが、やはり同じゲームに筐体を2台使う以上、ストII以外のゲームが余計に減ってしまうわけで、私にはどうしても釈然としないものがありました。

対戦はどちらかが必ず負けるわけですから、客の回転率が非常に良く、オペレーターが対戦台を優先して設置するのはわかるんですけども、前述した理由により、個人的にはあまりこの対戦台というのは好きにはなれませんでしたね。




そのように対戦台を良く思わないゲーマーもいたわけなのですが、このストリートファイターIIというゲームが、何台も当たり前のように対戦台が置かれている今日のゲーセンの風景を作ってしまった、ということを考えたら、ストIIというゲームはやっぱり凄いゲームだったんだな、と改めて実感すると同時に、もう2度とやってこないあの熱狂が今となっては懐かしくてたまらないものです。


あとがき

レビューのテーマは、やはりリアル世代が受けた衝撃がどれほど凄まじいものだったかをいかにして伝えるか、それに尽きたと思います。ゲーメストの状況については、やはり当時は毎月ストIIの記事が楽しみで何度も読み返したものですから、ほとんど記憶を頼りに書き上げる事が出来ました。もちろん思い出話も満載なので、これも一気に書き上げる事が出来ました。

攻略はキャラクター別で行うつもりでしたが、あまりにも大変なため餓狼のような形にすれば良かったと思っています。項目ごとに色が付いているのは作成当初からで、このサイトとしては珍しい事なのですね。何故そうしたかははっきりとは覚えていないのですが、おそらく必殺技の項目を作成した時に色を付けたら見栄えが良かったので、キャラ別にも引き継ぎ、結果的にこのサイトのストIIシリーズ攻略の基本的構成となりました。ストIIは別格と言うイメージを示す意味でも良かったかな、と思っています。





inserted by FC2 system