WWFレッスルフェスト

テクノスジャパン 1991年10月16日発売

横画面 プロレス

8方向レバー 自機の8方向移動

ボタン1:パンチ
ボタン2:キック

世界一のプロレス団体
「WWFレッスルフェスト」は、1991年に「WWFスーパースターズ」の続編として発売されたプロレスゲーム。

1991年当時WWEで活躍していたスーパースターズ12人が、ほぼ現実の姿のまま登場しているという、プロレスファンにとってはたまらない作品だ。

プロレスゲームは容量を非常に多く必要とするため、なかなかファンが満足出来るようなゲームが発売されることはなかったが、このレッスルフェストはそれまでのプロレスゲームとは比較にならないほどキャラが大きく、グラフィックもとても綺麗に書き込まれているため、非常に迫力のある出来となっている。



見た目だけ良くても、ゲームが面白くなければ意味はないが、このゲームはプロレスを再現しながらもゲームとしての完成度も非常に高く、今日に至るまでアーケードのプロレスゲームとしては最高傑作と言っても過言ではないほど、素晴らしい出来を誇っている。

もちろんプレイヤー人気もかなりのものがあり、翌'92年度のゲーメスト大賞ではインカム・人気ともに年間ベスト10入りを果たした。




ゲーム内容
モードはWWEのPPV大会から取られたバトルロイヤルモードである、「ロイヤルランブル」と、タッグマッチでの勝ち抜き戦の2種類から選択する。

タッグマッチは最終戦の相手である、リージョン・オブ・ドゥーム(ザ・ロード・ウォリアーズ)以外の10人から二人を選択して試合をしていく。

組み合わせに特に制限はないが、デモリッションはチームとしてしか選択することは出来ず、どちらか一方という選び方は出来ない。




スーパースター二人を選ぶと、二人の入場シーンが映し出されるが、本物の入場曲こそ使われていないものの、この時のBGMは、これから始まる激闘に相応しい高揚感のあるBGMなので、個人的にかなり気に入っている。

リング上ではまず女性リングアナによってコールされるが、現実では入場時にコールされるため、これはゲームのみの演出だ。

試合では常時英語による実況が行われる。もちろん本場の実況を再現しているため、技やニックネームも本場通りであり、ハルク・ホーガンはハルクスター、ラリアットはクローズラインと実況される。


スーパースターの基本的な操作方法は、1ボタンでパンチ、2ボタンでキック、同時押しで走り、自軍コーナーで味方側へレバーを入れながらどちらかのボタンを押せばタッチとなる。

組み技はファイプロのようにプレイヤーのタイミングではなく、ほぼランダムで技をかけられる側が決定されるため、なかなか思い通りにはいかず難しいのだが、相手の頭の側で1ボタンを押して立たせると、必ず組み技をかけることが出来る。

パンチを4発連続で当てると倒れるので、倒したらすぐに走って相手の頭側へ近付き立たせ、組技をかけていくのが基本的な攻略法だ。



そのようにやりこちらが優勢で組むことに成功したら、1ボタンを押すとヘッドロックの体勢を取り、そこからレバーの各方向と1ボタンで技をかけていく。技はそれぞれのスーパースター毎の技が用意されているが、大技は相手のスタミナが少なくならないとかけることが出来ない。

優勢で組んだ時に2ボタンを押すと、ハンマースルーが出来るので、相手が帰ってきた所で1ボタンを押すと技をかけることが出来る。

ホーガンはロープに振るとビッグブーツを決めることが出来るが、やはりここでは自らもロープに飛んでクローズラインを決めたい所だ。


試合形式は通常のプロレスルールだが、3戦目のみケージマッチ(金網デスマッチ)となり、この試合でロープに飛ばすと戻ってはこず、金網でダメージを食らってしまい、リングアウトによる決着もない。

決着は3カウント、関節技によるギブアップ、20カウントによるリングアウトで決着する。試合に勝利しても体力は若干回復するだけで次の試合へ進んでいってしまうため、体力を温存しながらでないと厳しいが、試合中にコインを入れスタートを押すと、スタミナが最高まで回復し、時間も最初に戻るので、とりあえず金さえあればクリアは出来る。時間切れ引き分けになってしまうと、ゲームオーバーとなってしまう。



5戦目のリージョン・オブ・ドゥームに勝利すると、1周クリアとなり、2周クリアでエンドとなる。




スーパースターズ紹介
このゲームには、全員合わせて計12人のスーパースターが登場する。

いずれも'91年当時のWWEにおいて第一線で活躍していたスターばかりなので、当時少しでもアメプロに興味を持っていた人であれば誰もが馴染みのことだろう。

個人的には"マッチョマン"ランディ・サベージと、現在もWWEのトップを張り続けているジ・アンダーテイカーの二人も加えて欲しかった所だ。






ハルク・ホーガン

当時のアメリカン・プロレス界最高のスター、それが、ハルク・ホーガンだ。

'85年の記念すべき第1回目のレッスルマニアから常にメインを務め、この年のレッスルマニア7でもサージャント・スローターと激闘を繰り広げ、大会を大成功に導いた。

翌'92年に長期休養に入り、'93年に復帰するも翌年離脱、ライバル団体のWCWに移籍し、'96年にヒール転向、NWOを作り上げ悪の大ボスとしてWWEの牙城を揺るがした。

その後WCWを離脱するが、2002年2月にNWOとしてWWEに9年ぶりに復帰、3月のレッスルマニア18では現在のアメプロのICON(象徴)であるザ・ロックと歴史に残る名勝負を展開、世界中のファンを熱狂させた。

そんなホーガンの必殺技はA猪木ばりの「弓を引く」ナックルパートの連発から、ロープに飛ばしビッグブーツ(カウンターキック)、そしてダウンした相手にとどめのレッグ・ドロップ(ギロチン・ドロップ)だ。日本でお馴染みのアックス・ボンバーはアメリカでは試合中盤につなぎ技として少し見せるだけで、ネーミングもラリアットと区別せずクローズラインのままだ。

ゲームでは必殺技のレッグドロップがよけられる可能性があるのはやや辛いが、やはり象徴だけあって使いやすいので、初心者向けのキャラと言えるだろう。


"ザ・ミリオンダラーマン"テッド・デビアス

若い頃からNWA地区でトップレスラーとして活躍し、次期NWA王者の最右翼と言われ続けてきたが、結局戴冠は果たせず、その後WWEへ移籍し"百万ドル男"の振れ込みで憎たらしいヒールとして活躍する。

日本では全日本プロレスに来日しており、スタン・ハンセンとのコンビで鶴田や天龍らと激闘を繰り広げたため、日本のファンにも知名度はかなり高く、試合内容に対する評価も高い。ただ印象が強かっただけに、WWEでのギミックに寂しさを覚えた人も多いだろう。

因みに日本ではデビアスという呼び方で知られるが、正しい発音はディビアシーである。

必殺技はNWA時代はフィギュア・4・レッグロックだったが、WWEに移籍してからはザ・ミリオンダラー・ドリーム・スリーパーホールド、日本式でいうコブラ・クラッチ・スリーパーホールドが必殺技となっている。


ミスター・パーフェクト

WWEに上がる前はカート・ヘニングの名でAWA地区を中心に活躍しており、全日本に来日時には、AWA王者として2代目タイガーマスク時代の三沢光晴ともタイトルマッチを行った。

WWEに移籍してからは"完全男"のギミックで売りだし、インターコンチネンタル王座も獲得するなど、トップヒールとして活躍した。その後一時期WCWへ移籍し、NWOのメンバーの一員となるが、まもなくWWEへ復帰。



復帰してからもトップグループの一員として、主にマネージャーとして活躍していたが、惜しくも2003年2月10日に、44歳の若さで他界してしまった。

必殺技はパーフェクト・スープレックス(フィッシャーマンズ・スープレックス)。


アルティメット・ウォリアー

'90年のレッスルマニア6で、ホーガンのWWE世界と、自ら保持するインターコンチネンタル王座のダブルタイトルマッチを行い、2冠王に輝いた、当時のWWEを代表するスーパースター。

試合内容は典型的なパワーファイターで、特に見るべきテクニックはなく、目の肥えた日本のファンの評価は低いが、ハンサムな顔立ちと見事な肉体からアメプロでの人気はかなりのものがあった。

同年のレッスルマニア7では、ランディ・サベージと敗者引退マッチを行い勝利するが、実際の主役は負けたサベージであった。

同年8月WWEの首脳と対立し、一時期WWEを離脱するが、翌年のレッスルマニア8で復帰する。しかしその後再び離脱し、WWEにもWCWにも上がることはなく、表舞台からフェードアウトしていった。

ゲームではホーガンらと並びかなり使いやすいキャラとなっており、初心者向けのキャラとなっている。必殺技はゴリラスラム(リフトアップスラム)とロープに走ってからのボディプレス。


ジェイク"ザ・スネーク"ロバーツ

'80年代後半からプロレス界で大流行となり、一気に必殺技としての地位を築いたフロント・ヘッドロックから相手の首を垂直に落とすDDTという技があるが、そのDDTの創始者がこのジェイク"ザ・スネーク"ロバーツだ。

さすがに元祖だけあって、長身を活かしたDDTのタイミングは見事の一言で、他のレスラーの追随を許さない。




レッスルマニア7では"ザ・モデル"ことリック・マーテルと黒い覆面を被ったダーク・マッチという試合をさせられたが、前年のWM6ではデビアス、翌年のWM8ではアンダーテイカーと試合をこなした事から分かるよう、WWEでは常にトップクラスのスターの位置にあった。

ゲームでの必殺技ももちろんDDTであり、決めて最も気持ちの良い技となっているが、DDT以外にもフィギュア・4・レッグロックなども使うことが出来る。


ビッグ・ボスマン

'88年にWWE入りし、看守スタイルとして売り出される。

最初はヒールだったが、後にベビーフェイスに転向し、ホーガンらとタッグを組むなど、WWEにおいてトップクラスの人気と地位を築いた。170Kgもある巨漢タイプだが、動きは素早く、プロレスもうまい。

レッスルマニア7ではミスター・パーフェクトと対戦し、マネージャーと二人での反則攻撃に苦しめられるが、故アンドレ・ザ・ジャイアントを味方に付け反則勝ちを収めた。

後WWEを離脱し、全日本プロレスにビッグ・ブーバーの名で来日するが、全日本の試合はハードすぎたためか常連とはならなかった。

必殺技のスクラップ・バスターはボスマンオリジナルの必殺技で、今でいうならカウンターのロックボトムのような技だ。


アースクェイク

琴天山の四股名で日本の大相撲で活躍したが、日本古来の角界の風習に付いていけず廃業し、その後アマレスの経験を活かして全日本プロレスに入団。デビュー戦も全日本のマットで行い、本名のジョン・テンタでデビュー。

'89年にWWEに移籍、アースクェイクのリングネームでタイフーンとザ・ナチュラル・ディザスターズを結成し、WWEにおいて名タッグチームの地位を築いた。

日本ではSWSで北尾光司にシュートを仕掛けられたりもしたが、こちらは前田VSアンドレのような伝説にはならず、北尾のチキンぶりが印象に残るのみとなった。

ゲームでは動きが遅く、攻略上動きが遅いキャラは辛いためやや不利なキャラとなっている。

必殺技は体重を活かしたヒップドロップ。


ザ・デモリッション

クラッシュとスマッシュの二人から成るWWEのタッグチームで、WWE世界タッグも保持していたこともあるほどの実力チーム。

クラッシュは空軍に入隊し、4年間横田基地に配属され、その間プロレスに興味を持ち練習生として新日本に入団するなど、日本にも縁のあるスターだ。

レッスルマニア7では当時提携していた、SWSの天龍源一郎・北尾光司組と対戦したが、北尾のプロレスの下手さばかりが目立つ試合で、試合でも負け役にされるなど、やや損な役回りだった。


サージャント・スローター

ビンス・マクマホンが当時勃発した湾岸戦争にあやかり、フセインの友人というキャラに仕立て上げた当時のWWE最大のヒール。

フセインからシューズをもらったとうそぶいたばかりか、リング上でイラク国旗を振り回し、ホーガンのタンクトップを燃やし、挙句の果てには星条旗を燃やすなど、アメリカ国民から娯楽スポーツの域を超えた本気の憎悪を集め、登場する度に会場には大きなブーイングが巻き起こっていった。



それだけにWM7のホーガン戦はファンを最高に熱狂させ、正義の味方であるホーガンが苦しめられながらも最後はスローターを懲らしめるという勧善懲悪なる試合展開は、まさにこれぞプロレスであり、アメリカン・プロレスの真髄を我々に見せてくれた。


リージョン・オブ・ドゥーム

'80年代の日米マット界における最高のタッグチーム。

初来日から全盛時は全日本を主戦場とし、鶴田や天龍らと激闘を繰り広げ日本のファンからも熱烈な支持を受けた。

テーマ曲として使用されたブラック・サバスのアイアンマンもヒットし、その昔はアイアンマン収録のCDに、「ウォリアーズのテーマ曲収録」というシールが貼られていたほどだ。


アメリカでは長い間NWA地区で活躍していたが、'90年夏にWWEに移籍し、リージョン・オブ・ドゥームの名でトップクラスで活躍した。

'92年アニマルが長期休養に入ったため、ひとりとなったホークは新日本の佐々木健介とヘルレイザーズを結成し約1年間新日本の常連外国人となった。アニマルが復帰してからはWWEに復帰し、日本にもちょくちょく来日を果たし最近では新団体のワールドジャパンプロレスの旗揚げ戦にも参加したが、もはや全盛期の迫力は見ることが出来ない。

ゲームでは最後の試合の相手だけあって非常に強く、必殺技のスカイハイ・ラリアットの威力は凄まじい。


参考文献:週刊ゴング増刊 プロレスオールスタースーパーカタログ各年度版。

・この当時はまだレスラーたちはスーパースターズと言う呼び方はされていませんでしたが、あえて今日の呼び方で統一しました。



あとがき

ゲーム自体も印象深いものでしたが、それ以上に私自身が当時のWWEの大ファンだったものですから、ゲーム云々よりもとにかく当時のWWEを語りたい、その一心で製作しました。


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